二郎の日記

スキー&スノーボード2004-2005

3.1 クリームさん(男性)の場合

3.1.1 人とは違う飲み方

 酒に狂い始めた若い頃 最初に私が『何となく人と少し飲み方が違う』と感じたのは「毎日絶対にかかさず飲むこと」「家で一人で飲んでいても完全に出来あがってしまえること」「休みの日はほぼ一日中飲んでいることもしょっちゅうやっている」ということでした。

 そういう事を酒飲み友達などに話すと「よくそんな事が出来るよなぁ」と言われたものでした。しかし私は 特別気にもせず「まあ こんなものだろう」と思っていました。

 それからさらにひどくなって「連日二日酔い」「飲み会などの時 必ずと言っていいほど最後は記憶が無くなってしまい 誰かのお世話になって家に帰って来る」といった事になってまいりました。 しかし私はそれでも「それも仕方の無いことだ まあいいだろう」といった感じでした。

 が。そのように能天気に日々暮らしてる中でも「これは普通とは違いすぎる もしかしたら俺って人とはかなり違ってるかも知れないぞ」とやや深刻に思っていた部分もありました。

 それは二日酔いの時 普通の人は「もう酒はこりごりだ!」とか「もう酒は飲まない!」などと平気で言うのですが 私の場合は「いま酒が飲めたならどれだけ幸せだろう」といつも思っていたのです。しかも二日酔いが酷ければ酷いほど飲みたくなっていました。そんな時 休みの日なら昼ごろから飲みますし(一応朝から飲むのはやめようと決めていた)仕事の日は仕事が終って飛んで家に帰り 即 飲みました。おかしな事に そんな時ほどいつもよりも大量飲酒になってしまうのでした。

 でもまだその時分は良かったんです。そんな事を繰り返している或る日 ある事をキッカケとして『連続飲酒』という甘美で恐怖のミステリーゾーン(原題The Twilight Zone)へ足を踏み入れることになるのです。


3.1.2 人と違う飲み方から連続飲酒へ

 20歳ぐらいの頃はすでに酒の不可思議な魔力に取り付かれていた私は日々「酒こそが我が人生だ」と信じて調子に乗っていました。

 きっと本音は「出来る事なら毎日 一日中酒を飲んで酔っ払っていたい」と思っていたんだと思います。勿論 これを実行に移すことはモラル的にも許されませんし 何よりそんな事をしたら働く事が出来ないので 家族持ちの私には実際には不可能なことでした。

 ところが ある日 私は大きな怪我をしてしまい およそ一ヶ月仕事が出来ない状態になってしまったのです。運の良いことに給料はその間保証されていたので 大手を振って長期休みが出来るようになった私は 怪我を負った悲惨さと毎日のヒマさを言い訳に朝から酒を飲むことにしました。

 勿論最初のうちは家族の目を気にして遠慮気味にやっていましたが 2~3日後にはもう「これは私の務めなのだ」というような訳の判らない態度をとって堂々をしたツラをして飲んでいました。私は偶然の産物としての怪我により 念願の「朝から酒を一日中飲んで酔っ払っていられる」という状況を手に入れることが出来たのです。

 しかし この幸せは長くは続きませんでした。というのも 一週間か10日経った頃 体調が徐々に悪くなってきたからです。食事は通らなくなり 飲むと吐くようになりました。

 それでもそうなりたての頃は 吐いてもまた頑張って少しづつ飲んでいけば段々と気分が良くなって行ったのですが しまいには全く飲めなくなり おまけに急性膵炎になってしまったのです。(のちに又この病気には何回かなるのですが この時はこんな病気の事は全く知らず恐ろしい事に 2日ほど眠らず痛みに耐えていたら 痛みも引いてきて病院に行かず自然に治ってしまった)

 そんな事があって 私は急遽節酒をすることにして(禁酒では無いところがすごいのですが)そのおかげで 仕事にも予定通り戻れましてヤレヤレといったところでした。

 しかし これらのことは連続飲酒という禁断の木の実の味を知ってしまった私にとってこれから始まろうとしている壮絶な酒戦争のプロローグに過ぎなかったのです。


3.1.3 連続飲酒が常習へ

 まったくもって人間というものは(いや 私だけか?)何故こんなにも享楽主義なのでしょうか。一度良い思いをしてしまうとそれに味を占めてしまうんですね。「あの怪我の恩恵」以来 私は『朝酒をくらって一日中酔っ払う』という「蜜の味」を忘れられなくなってしまったのです。

 あれからしばらくは襟を正した飲み方をしていましたので そのお陰で体調は良くなって行きました。しかし あれだけ連続飲酒の後半は辛く苦しい思いをしたにも関わらずそれを 忘れ あの時のことをまるで昔の良い想い出のごとく懐かしく思うようになってしまったのです。

 無論「そんなことはもう二度とやってはならない」という気持ちもあることはあったのですが「何もあそこまでやらなければ良い事ではないか」「もうあれほどの長い休みなど無いのだから 例えあそこまでやろうとしてもやれないから大丈夫さ」といった危険きわまりない思想が蛇が鎌首をもたげるように湧いてきたのでした。

 もうこうなっては駄目です。「それ(連続飲酒)」を実行するのはもう時間の問題でした。
 そのうち 休みが続く時はいつもやるようになりました。
 さらに酷いことに そのあたりから私は二日酔いで仕事を休むことが多くなってきたのです。
 もちろん そうやって休んでる時も必ず「それ」をやっていました。

 けれども その頃はまだ25歳前後でしたので まだ若くって体力もあり 飲みっぱなしといってもせいぜい数日ですし きつい事はきつかったですが どうにか酒を切って予定通りの日には仕事には行くことが出来ていました。

 しかし その頃から私は 自分で自分が解らない事が多くなってきました。もとより低かった自尊心は増々低くなり 自己否定感が強くなってきたのです。

 さらに 飲むためや飲んだ後の いろいろな「自己弁護」や「言い訳」が前よりも輪を掛けて上手になってきたのでした。 私の中での問題も徐々に増えてきていたのです。

 アル症は進行性の病気です。(当時の私はそんな事は知りませんでしたが) 今 私は確かにその通りだと思います。

 私の連続飲酒はどんどんと酷くなって行き 一度やってしまうとなかなか酒が切れなくなって仕事を休む期間も長くなり 酒を切って仕事に戻るときに ものすごいエネルギーが必要になっていました。

 けれども 懲りもせず 短い時は一ヶ月ぐらい 長く持っても数ヶ月に一度は「それ」をやっていました。その為 ついに仕事を辞めることになったりしました。でも新しい会社に入っても 少しすればそんな事をやっていましたので又々いられなくなり転職を繰り返すことになって行ったのです。

 そうなって来ると ストレスが多くなってきますので 連続飲酒の後半に待っている地獄の苦しみはとりあえず置いておいて 前半のあの快楽を味わいたいという気持ちが強くなり さらに連続飲酒の罠に自らはまるという悪循環に陥っていったのです。

 こういう状態ですから当然のごとく家庭もガタガタになってきました。妻との関係も険悪になって行き 話をすると離婚や別居とかの言葉もよく出てくるようになりました。

 私は前よりもっと 酒を飲む時は後ろめたい気持ちで飲むことが多くなって行きましたが飲むのをやめる訳にはいきませんので 飲むための「自己弁護」「言い訳」もグンと上手くなり 私の『演技力』はさらに磨きがかかっていくのでした。

 私はしばしば酒を飲むために妻に演技(と言っても本気のですが)をしました。ある時は同情を買うため ある時は抵抗を弱めるための不機嫌な態度や怒った態度 ある時はやたらと明るい態度 その他も 時に応じて様々な演技を演じました。それは酒を出来るだけスムーズに飲むためのものでした。

 その時の私の役者としての実力たるや凄まじいもので 私の(まさに命懸けの)迫真の演技の前ではキムタクの演技は幼稚園児のお遊戯であり(キムタクファン失礼!) アカデミー主演男優賞を連続二度受賞したトムハンクスすらも負かす勢いがあったと思います。

 しかし私は「一体私は何者なのだろうか?」「こんな状態を望んでるはずではないのにどうしてこんなになってしまうのだろう?」といった疑問が始終 頭に渦巻くようになり 増々自分の本質が解らなくなっていくのでした。

 連続飲酒が切れない大きな理由は離脱症状で 飲む期間が長くなれば長くなるほどその症状は酷くなります。酒が切れる時の あの何ともいえない深い穴に落ちて行くような底知れぬ恐怖感。「この世の終り」「自分の人生の終り」を感じさせるかのような強烈な不安感。それに加え 身体に現れる様々な激的な不快感。しかしこんな酷い状態でも酒が入れば一発です。(一時的ですが)180度の変化を見せてしまうのです。連続飲酒は続けば続くほど 飲んでる時と飲んでない時の精神状態 肉体状態のギャップはどんどん大きくなって行くのです。

 私はどんどんセコイ卑し系の人間になって行きました。というよりアルコールのせいで脳がやられ 道徳心 倫理感が著しく低下してしまっていました。

 具体的に私がどんな心情でどんな事をしたのかを幾つかあげてみたいと思います。

 私の連続飲酒が始まるとお金と酒は妻がすべて隠してしまうので まさに「それ」が始まろうとする時に 私は準備を整えるようになりました。

 前もってお金や酒を確保しておくことによって 来るべき困難を前もってすこしでも楽にしようという魂胆です。いろいろな場所に私は「隠し財産」を蓄えて置きました。

 しかし 連続飲酒が始まってしまうと そのような隠し財産はすぐ使い果たしてしまいすぐに困ることになってしまうのでした。

 そうなると私の次の行動は 子供達が学校に行き 妻が仕事に出かけてから誰もいなくなった家の中を物色することです。

 妻が隠し忘れた金はないか? 私の隠し財産の忘れはないか?(自分で隠した場所を酒ボケした私はすっかり忘れてしまってる事がよくあったので)などいろいろ考えながら捜し回るのです。

 ある時 私は散々捜しても何も見つからないので途方にくれていた時 フト子供達の「財源」があるはずだ!。とひらめき 子供部屋の机の中を物色し見事財布を見つけたりもしました。(私は極力真実に自分の心理状態を書いています。それゆえこのような描写に不快感を持たれる方もおられるかも知れませんが その辺はどうかお許し下さい。子供の財布から金を拝借した私は 子供に対して「済まない!」という気持ちも当然ありましたが 実際は「これで酒が飲める」という喜びの方が大きかったです。私はその時 満面の笑みを浮かべ「よくやった さすが私の子供だ」と我が子を称えました。)

 そして 家の中にはもう何も無いという事が完全に分かると 次は近所の人や友達の家へ行って飲ませてもらおうと考えたり 酒屋に行って酒をかっぱらってこようと本気で考え どのように言って飲ませてもらおうか?とか どうやって店の酒を盗もうか? と具体的な計画を立てたりもしてました。(連続飲酒の時の私は「酒が欲しい」というより「酒が必要」という感じになっています。 一番大切なことは「今 酒を飲む事」であり そのためならよっぽどの事以外はやってしまうと思います。又 この時期の私は連続飲酒でない時も 飲んでいない時と飲んでいる時の精神面及び肉体面のギャップは大きくなっていて 飲んでいない時は「健康面 仕事の事 家庭の問題 将来の事 等々」いつも心配 不安がのしかかっていましたが 飲めば途端に「どうにでもなれ!」「運が悪けりゃ死ぬだけの事だ」などとデカイ気になったりしていました。)

 けれどもこれらの犯罪行為を含む人格破壊的行動は その頃 大抵身体がヘロヘロで すでに外に出て何か行動することが無理な状態になっていますので 幸いにも実行は出来ず未遂に終っていました。

 それから少しすると 酒を止めざるを得なくなり 数日ぐらい大いに苦しんで 連続飲酒を脱出するのでした。

 その後しばらくの間私は 非常に謙虚になり「イイ人」になるのですが ほとぼりが冷める頃 又々「今度はあんなヘマをやりゃしない」「今までの教訓を活かして上手く飲んでやるさ」などと考え出し 次への兆戦に向けてムクムクと野望が再燃して行くのでありました。

 私のいつ果てるとも知れない酒への兆戦は続きました。

 私にとってこの連続飲酒との戦いは 自分の存在意義と信念を背負った解放そして自由を勝ち取るための命を懸けた「聖なる戦い」だったのです。しかし この「自由の戦士」は何度も何度もその戦いに参戦してはその度に負けてボロボロになって帰ってくるのでした。(思考表現がマトモじゃないと思いますが 今 私は酔っ払って 「アッチの世界」へ行ってる訳ではありません。これは私の当時のアル中思考を 再現しているのです。)

 このような傷だらけのアホバカ戦士に いいかげん愛想の尽きた妻は別れる事を真剣に考え もう離婚は免れないという所までいってましたが妻としては子供の事がどうしても気になっていて とりあえず離婚は保留という感じで持ちこたえていました。

 しかし 私は依然としてそんな事を繰り返していたのです。もはやその時点の私はまさに 酒に支配され酒の奴隷状態になっていました。

 自分ではどうする事も出来ず 半ばヤケになって開き直っていて すでにあまりいろんな事を考えるのをやめ(どうせ考えてもどうにもならないので)アル中思考の「悟り」の心境にいたんだと思います。(「このままじゃいけない どうにかしなくっては」という 考えや思いはいつもあるのですが 結局毎日同じ事を繰り返してしまうという いわば「アル中マンネリズム」に陥ってしまっているのです。 私は何かよほど大きな事などが無いとこれを打破することは出来ないと思います。)

 そんなさなか 私にある日またあの強烈な痛みが襲ってきたのです。この時も2日ほど寝ずにあの強烈な痛みを我慢していたのですが 今回は全く痛みが治まらず とうとうネをあげて入院する事になってしまったのでした。

 この時の入院で初めて「膵炎」という病気だという事を知ったのですが 病院の先生には「膵臓壊死などになってショック死しても全く不思議じゃないんだぞ」などと散々脅かされました。(私はこの入院の時に初めて『振戦せん妄』という戦慄の体験もしました)

 普通ならこれで懲りると思いますが 一体全体 私は何者なのでしょうか?!
 何と!それから一年少しの間にバタバタバタと今回を始めとして3回も同じ病気で入院する事になってしまったのでした。

3.1.4 そして入院(恐怖のせん妄体験へ)

 急性膵炎の強烈な痛みのため 入院した私は それからの2日間 この世のものとは思えない摩訶不思議で恐怖の振戦せん妄(後期離脱症状群:主な症状  幻視 見当識障害 興奮。)という体験をしたのです。

 夕方 急遽 私の住んでいる町では大きめの総合病院に入院した私は 鎮痛剤の入った点滴を受けて6人部屋の病室のベッドにいました。
なかなか痛みが取れなくって苦しんでいましたが 夜中頃 痛みが大分治まって来ました。

 私はヤレヤレといった感じで 皆が寝静まりシーンとした病室の中空をポケ~っと眺めていました。

 すると 何やら白い煙のようなものが漂っているではないですか。けれど その時は「まさか今 この部屋でタバコを吸ってる人がいるはずもないし自分はしばらく眠っていないので錯覚なのだろう」と思い 大して気にもしませんでした。

 しかしこの事は 私の不思議ワールドへの旅の始まりだったのです。

 その夜は痛みも治まり久々に眠ったようでした。次の日 目覚めた私は何かポワポワ~っとした感じで気持ち良いのでした。

 昨日の血液検査の結果 急性膵炎という事が分かり24時間点滴をする為点滴の管を直接胸につなげる簡単な手術をして病室に帰ってきました。

 依然としてポワポワ~とした気持ちのまま ベッドに横になったところ 反対側にある壁が地面の底のように見え 私は驚嘆しました。
(解りづらいと思いますが ちょうどアップダウンクイズ[古くって済みません]で答えられなくなった回答者の滑り台が上がったような寝ていても立っているような状態に感じたのです)

 私は必死にベッドにしがみつき落ちないように頑張りました。

 その時「皆こんなベッドに寝ていて落ちないだろうか?!」「皆何故あんなにも涼しい顔をしていられるのだろう?!」と とても不思議に思っていましたが とにかく私としてはすべり落ちるのが怖くって汗びっしょりで身体をこわばらせベッドに捕まっていました。

 傍らにいた妻には「何でこんなベッドなんだ!」とか「高い!落ちる!」とか言っていたと聞きました。その時 私は妻がとても不安そうな顔をしていたのを覚えていますが なにしろそれを気にしてるどころではなかったのです。しかし その後 騒ぎを聞きつけた看護婦さんが鎮静剤を注射してくれてどうやら治まったようでした。

 それから夜になり 6人部屋ですからいろいろな人がお見舞いに来はじめました。私は来る人来る人が知ってる人に見え 誰彼かまわずに気さくに声をかけはじめたのです。病室をちょっと覗いた人を母や妹だと思って家政婦さんに(夕方から家政婦さんがつく事になった)そのたび何回も伝えたりもして ついにその時点で私は病室の人や周りの人に「あの人はおかしい」と言われるようになっていたのでした。

 が この時はこれから起こる 不条理かつ無意味 幻想と悪夢の混濁した戦慄の体験の序曲に過ぎなかったのであります。

 「幻視」とは 実際に見えるはずのないものが見えて それを信じ込んでいる状態である。小さな動物が群れて見えることが多い。また幻聴を伴うこともよくある。

 「見当識障害」というのは 時間や場所 人物の見当がつかなくなることです。

 このような症状のために 不安や恐怖が強く 興奮して騒いだり、発熱 発汗 振戦などの自律神経症状を伴うことが多いのです。

 見知らぬ人に迷惑を顧みず 親しげに声をかけながら夜になりました。依然としてポワポワ~とした気持ちのまま 消灯時間になりいくらか眠ったようでした。

 しかし フト隣の病室から雅楽演奏が聞こえてきて目が覚めました。「何とも優雅なものだなぁ」と思いつつ その音楽を聞きながらウトウトしていたら なにやら今度は爽やかな歌声のような楽器のようなものが聞こえてきました。

 「何だろう?」と思って目を開けて前を見ると よく田舎にいそうな人の良い50歳ぐらいのすごく小さなオジさんがリヤカー(その中には駄菓子屋にあるおもちゃのようなものがいっぱい入っていた)を引っ張りながら私のところへ来ました。

 そのオジさんは私にサイコロをくれてまた去って行きました。

 けれども私はそれを落としてしまい 家政婦さんを起こして拾ってくれるように言ったのですが「そんなものは落ちていない。早く寝なさい」というばかりなので仕方無いので渋々と寝ました。

 それからどのくらい寝たのか分かりませんが 今度は(ピンクフロイド風の)シンセサイザーのような歯切れの良いとても大きな短い音楽が聞こえて思わず目を覚ましました。聞こえてくる所を見ると 何と! 病室の入り口のところに白バイの警官のような姿をしたロボットみたいな人が半分隠れてこっちを見ているではないですか!

 「何者なんだあの人は?」と思いましたが怖いので 気がつかないふりをしてまた目をつむり寝ようとしました。しかし またそのロボット人間は私を起こすように大きな音楽を鳴らし 依然としてジッと私の様子を伺っているのです。「これは大変な事だぞ!」とあわてて家政婦さんを起こし 自体を説明しましたが家政婦さんは確かめもせず 又もや「そんな人はいないから寝なさい」の一点張りです。

 私は「もう駄目だ こんな所にいたら何をされるか分かったもんじゃない」とすぐにここから逃げる事に決めました。

 家政婦さんは懸命にそれを阻止しようとしましたが 私はそれを振り切って逃げようとしました。

 ふと周りを見ると「KKK(クークラックスクラン)」のような格好をした人やガタイのイイ怖そうな人(この騒ぎで起きた病室の人達だったようです)も私を捕まえようとしているのです。「何?こいつらも皆あのロボットの仲間なのか!」「このまま捕まったら確実に殺される」と増々必死になり サンダルと点滴を持って病室から逃走しました。

 それからの事はところどころしか覚えていないのですが 点滴を持ちながら階段を勢い良く駆け降りた事。胸に埋め込まれた点滴の管を引き抜いた事。白衣の人に何人も囲まれた事。など記憶しています。(せん妄状態になると何故か誰もが被害妄想が大きくなるようで 何かから必死で 逃げようとして高い階の窓から飛び落ちたり 階段から転がり落ちたりして事故死する場合 も多いと聞きました。 私も確かに大いにあり得ると思います。)

 後から聞いた話では あれから私は散々逃げ回ったそうですが 結局捕まって当直の先生に強力な薬を注射され あえなく眠ってしまったそうです。

 次の日 目が覚めたら私は個室のベッドの上で縄でグルグル巻きにされて動けなくなっていましたが この「理不尽」な処置に非常に腹が立ち 大きな声で「おーい!ほどけー!」とか何回も何回も叫びました。

 そうしたら しばらくして院長先生が私のところへ来て いろいろ説教みたいな事を言ってそののち解放され もうそれからはせん妄は出てきませんでした。

 私の2日に渡る不思議時空世界の旅はやっと終ったのでした。

 これらの出来事は後から思えばまるでナンセンスギャグ のようで笑ってしまうのですが その時の当人は大真面目で必死です。
 もしこんな面白い体験ならしてみたいと思った人がいるならば(そんな人いないか)それは 違います! 本当に恐ろしく危険なものなのです。
by jirou_ah | 2008-10-29 22:00 | 出版 | Comments(0)
<< 3.体験談 3.1.1 クリームさんの場合... >>



ネクタイアル中・回復の日記
by jirou_ah
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
フォロー中のブログ
リンク集
ブログパーツ
以前の記事
カテゴリ
最新のコメント
ヘビスモさんへ お..
by jirou_ah at 02:54
改めて見直すと2008年..
by ヘビスモ at 22:52
jetlinksさんへ..
by jirou_ah at 03:08
長年にわたり、お疲れ様で..
by jetlinks at 15:12
ヘビスモさん まだまだ..
by jirou_ah at 02:29
雪山ってきれいですね。 ..
by ヘビスモ at 22:46
ノエルさん お母様..
by jirou_ah at 09:36
久しぶりに訪問しました。..
by ノエル at 23:00
ヘビスモさん お気..
by jirou_ah at 03:47
色々とあるのですね。 ..
by ヘビスモ at 22:02
最新のトラックバック
venusgood.co..
from venusgood.com/..
from 佐藤寛子 画像 動画 写真集..
アルケット
from 猫の手通信・日替り定食
しらふで死んでもらうか ..
from 猫の手通信・日替り定食
二郎さんの本の出版
from 猫の手通信・日替り定食
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


Skin by Excite ism