二郎の日記

スキー&スノーボード2004-2005

3.2 LUNAさん(女性)の場合

 私は15歳の頃から自分で飲み始めました。思春期をお酒とともに過ごしました。
 20代の間は「ちょっと人よりお酒に強いだけ」と思っていました。

 30代に入り、まだ独身であるという焦りと寂しさからか、ガクンと酒量が増えました。そのころ夫と知り合いましたが、夫も私も「飲み過ぎるのは不幸せだからだ。結婚して幸せになればお酒は飲まなくなるだろう」と思っていました。

 結婚しても、お酒は私を許してはくれませんでした。結婚して一年目の冬、駅前のスーパーでアルコール性てんかん(専門病院につながってから知りました)で昏倒しました。そのときのケガを夫に見とがめられたとき、「お酒がやめられない、何とかしたい」と訴えましたが、夫も私も「アルコールが自力コントロールできない病気」があることを、そのときは知りませんでした。「これからは、お酒は控えよう」という約束を二人でしました。

 それでも、私のお酒は止まりません。「お酒を控える」という約束をした手前、今度は隠れ飲みが始まりました。朝、夫が起きる前に起き抜けの一杯を飲み、会社へ送り出したら一息ついてまた一杯。夜、夫が帰る迄には酔いを醒まさなくてはいけないので夕方4時くらいには飲むのをやめます。

 そのうちに、長男を妊娠するのですが、インターネットでFAS(胎児性アルコール症候群)のページをみながらも、お酒をやめることはできませんでした。出産後にまず私がしたことは、出産費用の引出をしに銀行に行くついでに酒を買うことでした。

 マタニティ雑誌などの相談コーナーの、『FAS(胎児性アルコール症候群)はママが注意すれば必ず防げるもの。飲酒したからと言って必ず起こるものではありませんが、妊娠中はおなかの赤ちゃんのためにもなるべく飲酒はひかえたいものですね。』 という医師のコメントにすがりつくようにして臨月までお酒を飲み続けました。

 出産で入院した5日間はさすがにお酒は手に入りませんでしたが、病院から出たその足で、入院費を銀行から引き出すついでに缶チュウハイを買ったのを覚えています。

 …離乳食を上手に作れないのは「育児ノイローゼ」だと思っていました。保育園の一時保育に長男を預けるため、面接にいくときにも“一杯引っ掛け”なければ、家を出る勇気は出ませんでした。健康な人ならば、「ここ一番」というときには「しらふ」で事に臨むものですよねぇ。

 長男の授乳の合間に酒を買いに出ることは日常茶飯事でした。私は母性と酒を天秤にかけて酒の方を選びました。

 長男の初誕生のお祝いでも真っ赤な顔で舅・姑を迎えました。そのとき写っている写真のわたしの顔…それを見たとき、肝臓を壊したときかかった内科の医師が言っていた“アルコールを止めるための病院”のことが頭に浮かびました。

 喘息で通っている病院の主治医に『先生、どうしてもお酒がやめられないんです。どこか病院を紹介してくれませんか』とようやく告げることが出来ました。その翌々日には夫に伴われてアルコール依存症専門病院のドアをくぐったのです。…もちろん、朝起きる時と家を出る前には、夫に隠れて一杯引っ掛けましたが。(笑)

 今更ながら思うのは、“お酒を飲みながらの妊娠生活、子育て”は幼児虐待のひとつだということです。子供よりお酒を選ぶ…ネグレクトですよね。

 私は自分の飲酒は育児ノイローゼからくるものだと、そのころは思いこんでいましたので、地域の保健所(保健センター)に電話相談をしたこともあります。いろいろと悩みを保健師さんに聞いていただいたのですが、最後に「良ければお名前と電話番号を」と聞かれたときに他人に知られることが怖くて答えることができませんでした。今になって思えば、このとき身分を明らかにしていれば、もっと早く専門病院につながることができたのでは、と思います。

 近くの保育所で、子育て支援事業の園庭解放に参加したのは長男が6ヶ月を迎えた頃だったでしょうか。このころには舅、姑にも私の状態がどこかおかしいということは知れてしまっていました。舅に「僕の孫に社会性と教育をつけてやってくれ」といわれ、保育所に通園させることになりました。母親失格の烙印を押されたようで、また、それを理由にしてお酒を飲むことが多くなりました。お迎えの時間に酔いつぶれて行くことができず、園長先生に長男を送ってもらったこともあります。

 その後、長男が1歳の誕生日を迎えた月にようやく、自分から言い出してアルコール依存症専門病院につながることができたのです。もちろん初診の日には、朝一杯引っかけないことには家を出ることはできませんでした。

 アルコール依存症専門病院につながり、半年間ほど病院と意志の力で酒を止めていましたが、次男の妊娠を機会に通院を止めたとき、再飲酒しました。私は母性と酒を天秤にかけ、酒のほうを選びました。出産直前まで飲みつづけ、出産後1週間でまた飲み始めました。その一週間後、「このままではいけない。お酒をやめたい。」と、自分から専門病院に通院をはじめました。乳飲み子を抱っこ紐で胸にくくりながらの通院でした。でも、再通院から一ヶ月後、また連続飲酒をしました。

 「やめたいという意志の力」は「飲むという行動」には勝てませんでした。

 夫に見放されようとしたとき、私が取った行動は『酒をやめようとしているように見えるように自助グループに通うこと』でした。「自助グループなんて、アル中の行くとこやんか」と思っていました。…自分も正真正銘のアル中なのにもかかわらず。

 AA(アルコホーリクス・アノニマス:Alcoholics Anonymous®)に通い始めたころ、『…AAのおかげで○○年、酒をとめてもらっています。』という仲間の言葉が不思議で仕方ありませんでした。
「やめてるのは自分やのに、なんで、“とめてもらってる”っていうんやろう?」

 いま私は、「酒が止まっています。」「酒を止めてもらっています。」という言葉に違和感はありません。AAやネットの仲間や家族の協力のおかげで、私は酒がとまっています。

 AAには素敵な宝物がいっぱい落ちていました。「いつでも飲める、だから飲まない」(「いつでもやめられる、だから飲む」の裏返し)「今日一日だけ」難解だった12ステップも俺とポンコツ車とメカニックの12のステップを教えてもらってからは、取り組もうという気になりました。

 意思の力が必要なのだとしたら、「今日一日は飲まない」…そのことに意識を集中するときだけなのではないでしょうか。

 お酒をやめるのに早すぎるということもなければ、遅すぎるということもありません。私の場合、お酒の飲み方がおかしいと思いながら、結婚してから専門病院につながるまで、3年かかりました。その間に家族の信頼を失いました。離婚の危機にも直面しました。専門病院につながって、4年がすぎましたが、家族の信頼をすっかり取り戻せたとはいえません。(2005年6月)
by jirou_ah | 2008-10-29 20:56 | 出版 | Comments(0)
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ネクタイアル中・回復の日記
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