二郎の日記

スキー&スノーボード2004-2005

<   2008年 10月 ( 25 )   > この月の画像一覧

1.はじめに

 私のことを少々ご説明。私はアルコール依存症者で、俗に言うアル中です。そのアル中の中でも、ネクタイ・アル中と呼ばれる人間です。

 ネクタイ・アル中ってご存知ですか?

 サラリーマンとして働きながら、ちょっと飲みすぎたために、アルコール依存症になってしまった人のことを、その姿からアル中にネクタイを付けて、ネクタイ・アル中って言うんです。

 仕事もあり、家庭もある。遠くの人から見ると、普通の人です。でも、家族や同僚は少し疑っています。「あの大酒飲み」とか、「酒豪」と呼ばれている間はまだ好いのです。二日酔いで会社に行ったり、休みの日に飲みすぎて、月曜日には休んでしまったりしていると、「あいつは酒に飲まれる」とか「自己コントロールが出来ていない」って言われるようになります。

 通勤のとき、駅のキオスクで見かけませんか?

 ワンカップやビールを買って、一気飲みしている立派な紳士を。朝から見かけることはあまりありませんが、帰宅時には見かけますよね。ひょっとすると、その紳士はネクタイ・アル中かも知れません。

 駅前の酒屋で見かけませんか?

 立ち飲みのカウンターに集う、中年のオジサマ達を。ひょっとすると、そのオジサマ達の中に、ネクタイ・アル中の方がいらっしゃるかも知れません。

 なに、健康診断でγGTPが高いって注意されたって!

 駄目ですよ、要注意。脂肪肝になっているかも知れません。そのまま飲み続けたら、私と同じネクタイ・アル中になってしまいますよ。

 私は、脂肪肝からアルコール性肝炎となり、慢性膵炎にもなっていました。そして、アルコール依存症と診断されて、とうとうお酒は飲めなくなったのです。

 普通お酒を止めるのは、禁酒っていいますよね。でも、アルコール依存症になって、お酒を止めるのは、断酒って言うんです。それは、一生お酒を飲まないように、お酒を断つから、断酒っていうんです。

 私は、アルコール依存症と診断されて、アルコール専門医に出向いたとき、医師に聞いたんですよ。「何年お酒を止めたら、また飲めるようになるんですか?」って。すると医師はニッコリ笑ってこう言ったんです、「もう飲めません。一生飲んでは駄目ですよ。」って。

 嘘だろ、肝臓が良くなればまた飲めるようになるはずだ、この医者は嘘を言っているって思いましたね。だから、アルコール依存症について、色々と調べたんです。くどいほど調べてからやっと、もう飲めないんだって理解したんです。

 飲めないって理解しても、中々お酒を止めることなんて、長続きしそうにありません。仕方ないので、どうしたら止め続けることが出来るのか調べて、色々と工夫をしながら、何とか今まで断酒を続けることが出来ています。

 既に断酒されているあなた、今はまだ大丈夫だと思っているけど、少々ヤバイかも知れないと思っているあなた。お酒の無い人生を共に歩みませんか?

 私は、断酒してもう10年になります。そして『アルコール依存症からの回復ために』って言うサイトを開設しています。そのサイトに掲載していることや、掲示板で様々な方とお話させて頂いて得た、アルコール依存症に関する膨大な情報があります。そのことを、これから順に整理してご紹介していきます。
by jirou_ah | 2008-10-31 00:01 | 出版 | Comments(6)

2.アル中通になるために

 健康診断が怖いあなた、ひょっとしてγ-GTPが高いから「お酒を控えるように」とか、「休肝日を設けなさい」と言われていませんか。AST(GOT)とかALT(GPT)も高いなんて言われていませんか。

 お酒を飲みすぎて、アルコール依存症と診断された方の多くは、それまでに内臓の病気で内科入院を経験しています。「休肝日を設けなさい」との言葉で判るように、多くの方は肝機能障害を経験されています。

 なに、「肝機能に異常は無いし、他に悪い所だって無い」だって。「ちょっと飲みすぎが心配なだけです」って。ひょっとすると、物忘れが激しくなっていませんか。

 お酒は、脳みそを溶かすんですよ。内臓にダメージが少ないと、お酒をどんどん飲めますから、脳みそが解けて、40代でも60代なみの脳みそだなんてことはざらにあるんですよ。ご心配なく、大量のお酒を飲み続けていると、お酒はあなたの体を確実に蝕みますから。

 大酒飲みのあなたをアル中ワールドにご招待するために、一般常識に少しプラスアルファしておいて頂きたいことをご説明します。これであなたもアル中通です。

 まずは、冒頭に記した血液検査数値の意味です。

 γ-GTPはタンパク分解酵素で、腎臓、膵臓、小腸、肝臓などに多くあります。この酵素の血中濃度は、肝臓に異常がある場合には上昇しますが、そのほかの臓器に障害が生じても変化しないのだそうです。とくにお酒を飲むと著しく上昇するので、医師は禁酒が守られているかどうかのバロメータにも使っているのです。

 AST(GOT)やALT(GPT)は細胞内の酵素で、ASTは肝臓、心筋、骨格筋に多く存在し、ALTは肝臓内に多く存在します。健康な人は肝細胞が新陳代謝の過程で少しずつ壊れて、ASTやALTが血液中に流れ出て一定濃度になりますが、病気などが原因で細胞の壊れ方が速くなると血中濃度が上昇します。一般的には肝臓の病気でALTの値が高くなり、心臓の病気ではASTが高くなります。従来、日本ではASTはGOT、ALTはGPTと呼ばれていたものです。

 健康な人の検査数値はγ-GTPで50IU/L未満、ASTは10~40IU/L、ALTは5~40IU/Lです。私が内科に入院した時の数値は、これらの値が400~600 IU/Lでした。ちょっと体の調子が悪いなって検査を受けて、即入院です。毎日朝夕点滴をして、一月間の治療でした。アルコール依存症と診断されたときにはγ-GTPは800 IU/L程度になっていましたが、お酒さえ飲まなければ入院は不要とのことで、3ヶ月間の毎日通院でした。

 でも、こんな数値で驚く必要はありません。γ-GTP が1000IU/Lを超える方や、中には5000とか8000なんて方もいらっしゃいますから。もっとも、これだけの数値になると、もうフラフラ、とても立って歩けるものではありません。でも、驚異的な快復能力を示すと言われているアル中は、お酒を止めると不死鳥のごとく復活し、元気に断酒している方々がいらっしゃるのです。

 でももっと恐いのが数値の低いこと。壊れる細胞が無くなると、検査数値は低下します。もっとも、それまでには肝硬変になり、医師から絶対お酒を飲んでは駄目って言い渡されているはずですし、先にご説明した内容ぐらいは、ご存知ですね。

 次に業界用語です。まずはブラックアウト。お酒を飲みすぎて、次の日に飲んだ時の記憶が無いなんて経験はありませんか。そう、それがブラックアウトです。お酒は、記憶障害を引き起こす薬物なので、深酒をした翌日には記憶が無いなんてことがおこるのです。普通の人は記憶がなくなるまでお酒を飲むなんて滅多にありません。あなたは大丈夫ですか。もし何度も経験されているなら、赤信号。あなたは目出度くアル中の仲間入りをしているかも知れません。

 次に、AAと断酒会。AAとはAlcoholics Anonymousの略で、お酒を止めようとしている人達の集まり、自助グループの名前です。アメリカで結成され、今では全世界に広がっている組織で、日本各地でも様々なグループがミーティングを開いています。断酒会は、AAの日本版と思っていただければよいのですが、日本の文化を背景に組織としての運営方法に差があります。断酒会も日本全国に組織があり、私も断酒会の会員でした。

 他には、断酒とスリップぐらいは知っていて頂きたい言葉です。断酒についてははじめに説明している通り禁酒のこと。生涯飲まないとの意味を込めて断酒と呼びます。スリップとは、断酒していたのに飲んでしまうこと。そう、スベルという意味で、スリップです。アルコール依存症になると、お酒を止めにくいんですね。アルコール専門病院へ入院して、3ヶ月までに半数の方がスリップしてしまい、2年も経過すると8割の方がスリップ経験者という統計まであるぐらいですから。

 他にも色々とありますが、詳細は後でまとめてご紹介することにして、次に話を進めたいと思います。
by jirou_ah | 2008-10-30 00:01 | 出版 | Comments(0)

3.体験談

 AAではメッセージ、断酒会では体験談。皆さん、お酒に苦しんでおられた時のことを話しされています。

 ここでも、アルコール依存症だと診断され、現在は断酒されている方のお話を聞いてみましょう。以下にご紹介するのは、私が運営している『アルコール依存症からの回復のために』と云うサイトに設置している、『意見交換の広場(掲示板)』に寄せられた、実話です。
by jirou_ah | 2008-10-29 23:00 | 出版 | Comments(0)

3.1 クリームさん(男性)の場合

3.1.1 人とは違う飲み方

 酒に狂い始めた若い頃 最初に私が『何となく人と少し飲み方が違う』と感じたのは「毎日絶対にかかさず飲むこと」「家で一人で飲んでいても完全に出来あがってしまえること」「休みの日はほぼ一日中飲んでいることもしょっちゅうやっている」ということでした。

 そういう事を酒飲み友達などに話すと「よくそんな事が出来るよなぁ」と言われたものでした。しかし私は 特別気にもせず「まあ こんなものだろう」と思っていました。

 それからさらにひどくなって「連日二日酔い」「飲み会などの時 必ずと言っていいほど最後は記憶が無くなってしまい 誰かのお世話になって家に帰って来る」といった事になってまいりました。 しかし私はそれでも「それも仕方の無いことだ まあいいだろう」といった感じでした。

 が。そのように能天気に日々暮らしてる中でも「これは普通とは違いすぎる もしかしたら俺って人とはかなり違ってるかも知れないぞ」とやや深刻に思っていた部分もありました。

 それは二日酔いの時 普通の人は「もう酒はこりごりだ!」とか「もう酒は飲まない!」などと平気で言うのですが 私の場合は「いま酒が飲めたならどれだけ幸せだろう」といつも思っていたのです。しかも二日酔いが酷ければ酷いほど飲みたくなっていました。そんな時 休みの日なら昼ごろから飲みますし(一応朝から飲むのはやめようと決めていた)仕事の日は仕事が終って飛んで家に帰り 即 飲みました。おかしな事に そんな時ほどいつもよりも大量飲酒になってしまうのでした。

 でもまだその時分は良かったんです。そんな事を繰り返している或る日 ある事をキッカケとして『連続飲酒』という甘美で恐怖のミステリーゾーン(原題The Twilight Zone)へ足を踏み入れることになるのです。


3.1.2 人と違う飲み方から連続飲酒へ

 20歳ぐらいの頃はすでに酒の不可思議な魔力に取り付かれていた私は日々「酒こそが我が人生だ」と信じて調子に乗っていました。

 きっと本音は「出来る事なら毎日 一日中酒を飲んで酔っ払っていたい」と思っていたんだと思います。勿論 これを実行に移すことはモラル的にも許されませんし 何よりそんな事をしたら働く事が出来ないので 家族持ちの私には実際には不可能なことでした。

 ところが ある日 私は大きな怪我をしてしまい およそ一ヶ月仕事が出来ない状態になってしまったのです。運の良いことに給料はその間保証されていたので 大手を振って長期休みが出来るようになった私は 怪我を負った悲惨さと毎日のヒマさを言い訳に朝から酒を飲むことにしました。

 勿論最初のうちは家族の目を気にして遠慮気味にやっていましたが 2~3日後にはもう「これは私の務めなのだ」というような訳の判らない態度をとって堂々をしたツラをして飲んでいました。私は偶然の産物としての怪我により 念願の「朝から酒を一日中飲んで酔っ払っていられる」という状況を手に入れることが出来たのです。

 しかし この幸せは長くは続きませんでした。というのも 一週間か10日経った頃 体調が徐々に悪くなってきたからです。食事は通らなくなり 飲むと吐くようになりました。

 それでもそうなりたての頃は 吐いてもまた頑張って少しづつ飲んでいけば段々と気分が良くなって行ったのですが しまいには全く飲めなくなり おまけに急性膵炎になってしまったのです。(のちに又この病気には何回かなるのですが この時はこんな病気の事は全く知らず恐ろしい事に 2日ほど眠らず痛みに耐えていたら 痛みも引いてきて病院に行かず自然に治ってしまった)

 そんな事があって 私は急遽節酒をすることにして(禁酒では無いところがすごいのですが)そのおかげで 仕事にも予定通り戻れましてヤレヤレといったところでした。

 しかし これらのことは連続飲酒という禁断の木の実の味を知ってしまった私にとってこれから始まろうとしている壮絶な酒戦争のプロローグに過ぎなかったのです。


3.1.3 連続飲酒が常習へ

 まったくもって人間というものは(いや 私だけか?)何故こんなにも享楽主義なのでしょうか。一度良い思いをしてしまうとそれに味を占めてしまうんですね。「あの怪我の恩恵」以来 私は『朝酒をくらって一日中酔っ払う』という「蜜の味」を忘れられなくなってしまったのです。

 あれからしばらくは襟を正した飲み方をしていましたので そのお陰で体調は良くなって行きました。しかし あれだけ連続飲酒の後半は辛く苦しい思いをしたにも関わらずそれを 忘れ あの時のことをまるで昔の良い想い出のごとく懐かしく思うようになってしまったのです。

 無論「そんなことはもう二度とやってはならない」という気持ちもあることはあったのですが「何もあそこまでやらなければ良い事ではないか」「もうあれほどの長い休みなど無いのだから 例えあそこまでやろうとしてもやれないから大丈夫さ」といった危険きわまりない思想が蛇が鎌首をもたげるように湧いてきたのでした。

 もうこうなっては駄目です。「それ(連続飲酒)」を実行するのはもう時間の問題でした。
 そのうち 休みが続く時はいつもやるようになりました。
 さらに酷いことに そのあたりから私は二日酔いで仕事を休むことが多くなってきたのです。
 もちろん そうやって休んでる時も必ず「それ」をやっていました。

 けれども その頃はまだ25歳前後でしたので まだ若くって体力もあり 飲みっぱなしといってもせいぜい数日ですし きつい事はきつかったですが どうにか酒を切って予定通りの日には仕事には行くことが出来ていました。

 しかし その頃から私は 自分で自分が解らない事が多くなってきました。もとより低かった自尊心は増々低くなり 自己否定感が強くなってきたのです。

 さらに 飲むためや飲んだ後の いろいろな「自己弁護」や「言い訳」が前よりも輪を掛けて上手になってきたのでした。 私の中での問題も徐々に増えてきていたのです。

 アル症は進行性の病気です。(当時の私はそんな事は知りませんでしたが) 今 私は確かにその通りだと思います。

 私の連続飲酒はどんどんと酷くなって行き 一度やってしまうとなかなか酒が切れなくなって仕事を休む期間も長くなり 酒を切って仕事に戻るときに ものすごいエネルギーが必要になっていました。

 けれども 懲りもせず 短い時は一ヶ月ぐらい 長く持っても数ヶ月に一度は「それ」をやっていました。その為 ついに仕事を辞めることになったりしました。でも新しい会社に入っても 少しすればそんな事をやっていましたので又々いられなくなり転職を繰り返すことになって行ったのです。

 そうなって来ると ストレスが多くなってきますので 連続飲酒の後半に待っている地獄の苦しみはとりあえず置いておいて 前半のあの快楽を味わいたいという気持ちが強くなり さらに連続飲酒の罠に自らはまるという悪循環に陥っていったのです。

 こういう状態ですから当然のごとく家庭もガタガタになってきました。妻との関係も険悪になって行き 話をすると離婚や別居とかの言葉もよく出てくるようになりました。

 私は前よりもっと 酒を飲む時は後ろめたい気持ちで飲むことが多くなって行きましたが飲むのをやめる訳にはいきませんので 飲むための「自己弁護」「言い訳」もグンと上手くなり 私の『演技力』はさらに磨きがかかっていくのでした。

 私はしばしば酒を飲むために妻に演技(と言っても本気のですが)をしました。ある時は同情を買うため ある時は抵抗を弱めるための不機嫌な態度や怒った態度 ある時はやたらと明るい態度 その他も 時に応じて様々な演技を演じました。それは酒を出来るだけスムーズに飲むためのものでした。

 その時の私の役者としての実力たるや凄まじいもので 私の(まさに命懸けの)迫真の演技の前ではキムタクの演技は幼稚園児のお遊戯であり(キムタクファン失礼!) アカデミー主演男優賞を連続二度受賞したトムハンクスすらも負かす勢いがあったと思います。

 しかし私は「一体私は何者なのだろうか?」「こんな状態を望んでるはずではないのにどうしてこんなになってしまうのだろう?」といった疑問が始終 頭に渦巻くようになり 増々自分の本質が解らなくなっていくのでした。

 連続飲酒が切れない大きな理由は離脱症状で 飲む期間が長くなれば長くなるほどその症状は酷くなります。酒が切れる時の あの何ともいえない深い穴に落ちて行くような底知れぬ恐怖感。「この世の終り」「自分の人生の終り」を感じさせるかのような強烈な不安感。それに加え 身体に現れる様々な激的な不快感。しかしこんな酷い状態でも酒が入れば一発です。(一時的ですが)180度の変化を見せてしまうのです。連続飲酒は続けば続くほど 飲んでる時と飲んでない時の精神状態 肉体状態のギャップはどんどん大きくなって行くのです。

 私はどんどんセコイ卑し系の人間になって行きました。というよりアルコールのせいで脳がやられ 道徳心 倫理感が著しく低下してしまっていました。

 具体的に私がどんな心情でどんな事をしたのかを幾つかあげてみたいと思います。

 私の連続飲酒が始まるとお金と酒は妻がすべて隠してしまうので まさに「それ」が始まろうとする時に 私は準備を整えるようになりました。

 前もってお金や酒を確保しておくことによって 来るべき困難を前もってすこしでも楽にしようという魂胆です。いろいろな場所に私は「隠し財産」を蓄えて置きました。

 しかし 連続飲酒が始まってしまうと そのような隠し財産はすぐ使い果たしてしまいすぐに困ることになってしまうのでした。

 そうなると私の次の行動は 子供達が学校に行き 妻が仕事に出かけてから誰もいなくなった家の中を物色することです。

 妻が隠し忘れた金はないか? 私の隠し財産の忘れはないか?(自分で隠した場所を酒ボケした私はすっかり忘れてしまってる事がよくあったので)などいろいろ考えながら捜し回るのです。

 ある時 私は散々捜しても何も見つからないので途方にくれていた時 フト子供達の「財源」があるはずだ!。とひらめき 子供部屋の机の中を物色し見事財布を見つけたりもしました。(私は極力真実に自分の心理状態を書いています。それゆえこのような描写に不快感を持たれる方もおられるかも知れませんが その辺はどうかお許し下さい。子供の財布から金を拝借した私は 子供に対して「済まない!」という気持ちも当然ありましたが 実際は「これで酒が飲める」という喜びの方が大きかったです。私はその時 満面の笑みを浮かべ「よくやった さすが私の子供だ」と我が子を称えました。)

 そして 家の中にはもう何も無いという事が完全に分かると 次は近所の人や友達の家へ行って飲ませてもらおうと考えたり 酒屋に行って酒をかっぱらってこようと本気で考え どのように言って飲ませてもらおうか?とか どうやって店の酒を盗もうか? と具体的な計画を立てたりもしてました。(連続飲酒の時の私は「酒が欲しい」というより「酒が必要」という感じになっています。 一番大切なことは「今 酒を飲む事」であり そのためならよっぽどの事以外はやってしまうと思います。又 この時期の私は連続飲酒でない時も 飲んでいない時と飲んでいる時の精神面及び肉体面のギャップは大きくなっていて 飲んでいない時は「健康面 仕事の事 家庭の問題 将来の事 等々」いつも心配 不安がのしかかっていましたが 飲めば途端に「どうにでもなれ!」「運が悪けりゃ死ぬだけの事だ」などとデカイ気になったりしていました。)

 けれどもこれらの犯罪行為を含む人格破壊的行動は その頃 大抵身体がヘロヘロで すでに外に出て何か行動することが無理な状態になっていますので 幸いにも実行は出来ず未遂に終っていました。

 それから少しすると 酒を止めざるを得なくなり 数日ぐらい大いに苦しんで 連続飲酒を脱出するのでした。

 その後しばらくの間私は 非常に謙虚になり「イイ人」になるのですが ほとぼりが冷める頃 又々「今度はあんなヘマをやりゃしない」「今までの教訓を活かして上手く飲んでやるさ」などと考え出し 次への兆戦に向けてムクムクと野望が再燃して行くのでありました。

 私のいつ果てるとも知れない酒への兆戦は続きました。

 私にとってこの連続飲酒との戦いは 自分の存在意義と信念を背負った解放そして自由を勝ち取るための命を懸けた「聖なる戦い」だったのです。しかし この「自由の戦士」は何度も何度もその戦いに参戦してはその度に負けてボロボロになって帰ってくるのでした。(思考表現がマトモじゃないと思いますが 今 私は酔っ払って 「アッチの世界」へ行ってる訳ではありません。これは私の当時のアル中思考を 再現しているのです。)

 このような傷だらけのアホバカ戦士に いいかげん愛想の尽きた妻は別れる事を真剣に考え もう離婚は免れないという所までいってましたが妻としては子供の事がどうしても気になっていて とりあえず離婚は保留という感じで持ちこたえていました。

 しかし 私は依然としてそんな事を繰り返していたのです。もはやその時点の私はまさに 酒に支配され酒の奴隷状態になっていました。

 自分ではどうする事も出来ず 半ばヤケになって開き直っていて すでにあまりいろんな事を考えるのをやめ(どうせ考えてもどうにもならないので)アル中思考の「悟り」の心境にいたんだと思います。(「このままじゃいけない どうにかしなくっては」という 考えや思いはいつもあるのですが 結局毎日同じ事を繰り返してしまうという いわば「アル中マンネリズム」に陥ってしまっているのです。 私は何かよほど大きな事などが無いとこれを打破することは出来ないと思います。)

 そんなさなか 私にある日またあの強烈な痛みが襲ってきたのです。この時も2日ほど寝ずにあの強烈な痛みを我慢していたのですが 今回は全く痛みが治まらず とうとうネをあげて入院する事になってしまったのでした。

 この時の入院で初めて「膵炎」という病気だという事を知ったのですが 病院の先生には「膵臓壊死などになってショック死しても全く不思議じゃないんだぞ」などと散々脅かされました。(私はこの入院の時に初めて『振戦せん妄』という戦慄の体験もしました)

 普通ならこれで懲りると思いますが 一体全体 私は何者なのでしょうか?!
 何と!それから一年少しの間にバタバタバタと今回を始めとして3回も同じ病気で入院する事になってしまったのでした。

3.1.4 そして入院(恐怖のせん妄体験へ)

 急性膵炎の強烈な痛みのため 入院した私は それからの2日間 この世のものとは思えない摩訶不思議で恐怖の振戦せん妄(後期離脱症状群:主な症状  幻視 見当識障害 興奮。)という体験をしたのです。

 夕方 急遽 私の住んでいる町では大きめの総合病院に入院した私は 鎮痛剤の入った点滴を受けて6人部屋の病室のベッドにいました。
なかなか痛みが取れなくって苦しんでいましたが 夜中頃 痛みが大分治まって来ました。

 私はヤレヤレといった感じで 皆が寝静まりシーンとした病室の中空をポケ~っと眺めていました。

 すると 何やら白い煙のようなものが漂っているではないですか。けれど その時は「まさか今 この部屋でタバコを吸ってる人がいるはずもないし自分はしばらく眠っていないので錯覚なのだろう」と思い 大して気にもしませんでした。

 しかしこの事は 私の不思議ワールドへの旅の始まりだったのです。

 その夜は痛みも治まり久々に眠ったようでした。次の日 目覚めた私は何かポワポワ~っとした感じで気持ち良いのでした。

 昨日の血液検査の結果 急性膵炎という事が分かり24時間点滴をする為点滴の管を直接胸につなげる簡単な手術をして病室に帰ってきました。

 依然としてポワポワ~とした気持ちのまま ベッドに横になったところ 反対側にある壁が地面の底のように見え 私は驚嘆しました。
(解りづらいと思いますが ちょうどアップダウンクイズ[古くって済みません]で答えられなくなった回答者の滑り台が上がったような寝ていても立っているような状態に感じたのです)

 私は必死にベッドにしがみつき落ちないように頑張りました。

 その時「皆こんなベッドに寝ていて落ちないだろうか?!」「皆何故あんなにも涼しい顔をしていられるのだろう?!」と とても不思議に思っていましたが とにかく私としてはすべり落ちるのが怖くって汗びっしょりで身体をこわばらせベッドに捕まっていました。

 傍らにいた妻には「何でこんなベッドなんだ!」とか「高い!落ちる!」とか言っていたと聞きました。その時 私は妻がとても不安そうな顔をしていたのを覚えていますが なにしろそれを気にしてるどころではなかったのです。しかし その後 騒ぎを聞きつけた看護婦さんが鎮静剤を注射してくれてどうやら治まったようでした。

 それから夜になり 6人部屋ですからいろいろな人がお見舞いに来はじめました。私は来る人来る人が知ってる人に見え 誰彼かまわずに気さくに声をかけはじめたのです。病室をちょっと覗いた人を母や妹だと思って家政婦さんに(夕方から家政婦さんがつく事になった)そのたび何回も伝えたりもして ついにその時点で私は病室の人や周りの人に「あの人はおかしい」と言われるようになっていたのでした。

 が この時はこれから起こる 不条理かつ無意味 幻想と悪夢の混濁した戦慄の体験の序曲に過ぎなかったのであります。

 「幻視」とは 実際に見えるはずのないものが見えて それを信じ込んでいる状態である。小さな動物が群れて見えることが多い。また幻聴を伴うこともよくある。

 「見当識障害」というのは 時間や場所 人物の見当がつかなくなることです。

 このような症状のために 不安や恐怖が強く 興奮して騒いだり、発熱 発汗 振戦などの自律神経症状を伴うことが多いのです。

 見知らぬ人に迷惑を顧みず 親しげに声をかけながら夜になりました。依然としてポワポワ~とした気持ちのまま 消灯時間になりいくらか眠ったようでした。

 しかし フト隣の病室から雅楽演奏が聞こえてきて目が覚めました。「何とも優雅なものだなぁ」と思いつつ その音楽を聞きながらウトウトしていたら なにやら今度は爽やかな歌声のような楽器のようなものが聞こえてきました。

 「何だろう?」と思って目を開けて前を見ると よく田舎にいそうな人の良い50歳ぐらいのすごく小さなオジさんがリヤカー(その中には駄菓子屋にあるおもちゃのようなものがいっぱい入っていた)を引っ張りながら私のところへ来ました。

 そのオジさんは私にサイコロをくれてまた去って行きました。

 けれども私はそれを落としてしまい 家政婦さんを起こして拾ってくれるように言ったのですが「そんなものは落ちていない。早く寝なさい」というばかりなので仕方無いので渋々と寝ました。

 それからどのくらい寝たのか分かりませんが 今度は(ピンクフロイド風の)シンセサイザーのような歯切れの良いとても大きな短い音楽が聞こえて思わず目を覚ましました。聞こえてくる所を見ると 何と! 病室の入り口のところに白バイの警官のような姿をしたロボットみたいな人が半分隠れてこっちを見ているではないですか!

 「何者なんだあの人は?」と思いましたが怖いので 気がつかないふりをしてまた目をつむり寝ようとしました。しかし またそのロボット人間は私を起こすように大きな音楽を鳴らし 依然としてジッと私の様子を伺っているのです。「これは大変な事だぞ!」とあわてて家政婦さんを起こし 自体を説明しましたが家政婦さんは確かめもせず 又もや「そんな人はいないから寝なさい」の一点張りです。

 私は「もう駄目だ こんな所にいたら何をされるか分かったもんじゃない」とすぐにここから逃げる事に決めました。

 家政婦さんは懸命にそれを阻止しようとしましたが 私はそれを振り切って逃げようとしました。

 ふと周りを見ると「KKK(クークラックスクラン)」のような格好をした人やガタイのイイ怖そうな人(この騒ぎで起きた病室の人達だったようです)も私を捕まえようとしているのです。「何?こいつらも皆あのロボットの仲間なのか!」「このまま捕まったら確実に殺される」と増々必死になり サンダルと点滴を持って病室から逃走しました。

 それからの事はところどころしか覚えていないのですが 点滴を持ちながら階段を勢い良く駆け降りた事。胸に埋め込まれた点滴の管を引き抜いた事。白衣の人に何人も囲まれた事。など記憶しています。(せん妄状態になると何故か誰もが被害妄想が大きくなるようで 何かから必死で 逃げようとして高い階の窓から飛び落ちたり 階段から転がり落ちたりして事故死する場合 も多いと聞きました。 私も確かに大いにあり得ると思います。)

 後から聞いた話では あれから私は散々逃げ回ったそうですが 結局捕まって当直の先生に強力な薬を注射され あえなく眠ってしまったそうです。

 次の日 目が覚めたら私は個室のベッドの上で縄でグルグル巻きにされて動けなくなっていましたが この「理不尽」な処置に非常に腹が立ち 大きな声で「おーい!ほどけー!」とか何回も何回も叫びました。

 そうしたら しばらくして院長先生が私のところへ来て いろいろ説教みたいな事を言ってそののち解放され もうそれからはせん妄は出てきませんでした。

 私の2日に渡る不思議時空世界の旅はやっと終ったのでした。

 これらの出来事は後から思えばまるでナンセンスギャグ のようで笑ってしまうのですが その時の当人は大真面目で必死です。
 もしこんな面白い体験ならしてみたいと思った人がいるならば(そんな人いないか)それは 違います! 本当に恐ろしく危険なものなのです。
by jirou_ah | 2008-10-29 22:00 | 出版 | Comments(0)

3.1.1 クリームさんの場合(続き)

3.1.5 入院 (それから・・)
 あの2日間の狂乱の惨劇後の私は すっかり大人しくなり真面目に入院生活を送り膵炎も良くなって行きました。約一ヶ月後 元気に退院した私は早速その日 退院祝いと称して酒を飲んでいました。あれだけの思いをしても 喉元を過ぎてしまえばどうってことはありません。「人間生きていればいろいろな事はあるさ」ってなもんです。

 そして日々過ぎて行くうちに(当然最初は控えめに飲んでいましたが)次第に大量飲酒に戻って行くのでした。

 それから数ヶ月後には又もや急性膵炎で2度目の入院をするハメになり その時も約一ヶ月入院しました。

 その時は退院して数日は飲まなかったのですが 又もや飲みだし そののちやっぱり又大量飲酒になって これまた数ヶ月後に急性膵炎で3度目の入院ですわ。(恥ずかしいので病院はすべて違うところにしました)(やはりアル中は専門病院でないと駄目だと思います。
 3回の入院でも(全部違う一般病院でしたが)私は先生に「断酒しなさい」と 一回も言われませんでした。)

 一度目の入院以降 せん妄状態にはなりませんでしたが さすがの私も「こんな事やっているのは世界でもオレ一人かも知れないな」と思い 心から「このままでは絶対にヤバイ オレは生まれ変わる!」と決意いたしました。

 自信の無い自分を「心配しないでも平気さ なんせここまでやってしまったんだからな」「いくらオレでも いい加減懲りているはずだ もう大丈夫!」と自ら励ましました。

 酒の時代の自分はもうここまでにして これからは違う時代の自分を歩んで行こうと強く強く誓ったのでした。

 ・・・が。
 ・・・しばらくは良かったんです。 そう 本当にしばらくは良かったんです。
 嘘じゃありません。 本当にしばらくは良かったんです。

 せん妄状態になった時 妻は心配して先生に どういう事なのか尋ねたら「酒を飲みすぎるとそうなる事がある」と言っただけだったそうです。ちなみに 私には何の説明もありませんでした。


3.1.6 (そして)節酒生活へ

 ああ 一体私は何処から来て何処へ行こうとしているのでしょうか?

 酒時代の自分に別れを告げ 新時代の自分に変化する!・・・・・はずでした・・が。約 一ヶ月後 新しい職場の歓迎会の席で一杯のビールが引き金になり そのうち毎日飲むようになってしまったのです。

 けれど あの連発膵炎の恐怖がそれなりに効いていて「節酒生活」は続けていました。と言っても その節酒生活は非常に苦労しまして 滝に打たれ座禅を組む修行僧のごとく精神統一を行ない 毎日毎日姿勢を正し 酒を飲んでいたのでした。

 私はその際 数々の節酒方法を行なったのですが どんな事をしてみたのかをちょっと書いてみたいと思います。

 『外へは飲みに行かない。』  (飲みに行くと必ず大量飲酒になるので)
 『なるべく遅い時間に飲む。』  (飲み出したら眠るまで飲みつづけるから)

 この二つはそれなりに効果がありました。

 その他 『毎日決めた量にする為に その分しか買って来ないようにする。』これは上手く行くこともあるのですが 大抵は又買いに行ってしまい(酷い時は何回も)そのうち余計に買ってきたりして(又行くのが面倒だから)酒代も高くつくし かえって良くない結果になったのでやめました。

 しかし私はその方法を変形させ 自分の決めた量をまだ飲み出す前に他の容器に移し (私はウイスキーでしたのでデカボトルから小さなビンに移したのです。)それ以外は鍵をかけて物置にしまい鍵は妻に預けておく という方法をあみ出しました。

 けれども やっぱりそれで足りる日はあまり無く 結局妻に鍵を出してもらって「追加注文」の日がほとんどでした。あんまり意味は無いような感じですが それでもやらないよりはマシだったのでそれはずっとやっていました。(全く考えるとバカバカしいですが これでも私としては真剣に考えたものなのです。
 しかし まあよく妻もこんな事に付き合ってくれてたものです。)

 その他 自分の考えの及ぶ限りありとあらゆる方法をやりましたが 他の方法はほとんどが全く効果が無いか 逆にもっと酷くなってしまいました。

 そんな感じでしたが 約一年ぐらいは二日酔いこそはありましたが 連続飲酒にはならず 過ごせたのですが それでもやはり ゆるやかな上昇カーブを描きながら徐々に飲み過ぎ体制になって行きました。

 根性の節酒生活は 飲み過ぎ上昇カーブを描き 連日二日酔いも多くなりながらも続いていました。 それこそ ちょっとでも気を緩めようものならたちまち大量飲酒ですからそれはそれは力を込めて頑張っていました。

 そのうちポツポツと休みが続くと連続飲酒もやるようになってきましたけれど前から比べればやる回数も全然減りました。 また膵炎になる危険ラインも何となく経験上分かっていたので そこまでいく前には力を振り絞り連続飲酒から抜けていました。

 しかし その頃には精神的なアップダウンが大きくなってきていて ちょっと上手くいっている日が続くとたちまち傲慢になり調子づきまして「オレも一時と比べたら本当に成長したものだ。すでに酒の問題はオレには無い」などと 偉いような気になっていました。

 が 深飲みが続いてしんどくなると ヒイコラ言って仕事をしながら「こんな生活は人間の生活じゃない オレは人間とは言えない 早く人間になりたい」と鉛が詰まったような重い身体を引きずりながらよく思ったものでした。

 それでも あの膵炎3連荘の頃と比べれば全然良くなりまして 休みの日などは家族でドライブなどへしょっちゅう出かけるようになり(前日の深酒を避ける為と休みの日 昼間から飲めないようにする為という理由もありましたが)家族には変化したお父さんぶりを見せることが出来ていました。

 そんなある時 私の町のはずれにある山へ家族でドライブに行きました。その山の近くにある精神病院の前を通ると そこには「アルコール専門」という文字の書かれた大きな看板が掲げられていました。 私はそれを見た瞬間「ドキッ」としました。

 「家族の者はあの看板を見て何て思っただろうか?」と不安になったのです。それに加え「どんな病院なんだここは?気味が悪いな」という思いと「でも もしかしたらオレはこういう所に関係している人間ではないだろうか?」という気持ちもよぎったのでした。

 その後もその前の道は何度も通りましたが その度「まあオレには関係ないね」と自分に言い聞かせながらも その看板の「アルコール専門」という文字が迫って来て「お前はここに縁のある人間だ」という『声』が聞こえるような気がしてなりませんでした。

 私はその道を通るたび背筋の凍りつくようなマガマガしい気持ちで その「アルコール専門」という看板をチラッと見て すぐに目を背けてその前の道を通り過ぎていました。

 そんな感じで数年経って行ったのです。


3.1.7 ついに!

 来たる時は来ました。何という事でしょう! あの「お前はここに縁のある人間だ」という恐怖の大予言が成就してしまったのです。(と言うより自ら成就させたんですが)

 ポツポツとやっていた連続飲酒がある時 止まらなくなってしまったのです。それから どうなったかと言うと このままじゃ間違い無く膵炎再発だし かと言って 自力で止めるのはかなり厳しいと思い(自力で連続飲酒を止められなくなったのは初めてでした) 私は妻に例の「アルコール専門」の看板のある病院に電話をしてくれるように頼みました。そうするとちょうどその日は外来診察の日で予約が取れ あの見たくもない看板のある病院へ妻と一緒に行きました。

 病院の待合室のソファーにへたり込んで待つ事一時間以上 ようやっと診察。先生に子供の頃の家族関係 飲酒暦 起こした問題などなどいろいろな事を聞かれ一時間以上の問診の結果 私は完全なるアルコール依存症だという診断が下りました。しかも驚く事に25歳頃にはすでになっていたと言われました。

 先生は私に「通院でも治療は行なえますが 私としては入院を勧めます。」と言われその期間を聞いたら 約3ヶ月(!!)などと言うのです。
「冗談じゃない 何が3ヶ月だ。医者というのは平気でそういう事を言うからな」と思いましたが 私は穏やかに「ちょっと入院は無理なので通院でお願いします」と言いました。

 一応通院治療という事になり サッサと帰ろうとしたところ 先生が病室を見ていくように勧めてくれ 看護婦さんの案内で見学しました。

 そして行ったらいましたよ。 何やら気の抜けた覇気の無い人達がゴロゴロと。私は気分が悪くなってきて 病室に鉄格子が無いことや明るい雰囲気を見て安心して貰おうという先生の意図とは裏腹に 増々「こんな所」が嫌になってしまったのです。

 「今日から又『いつもの普段の日』に戻って節酒して行けば良いだけの事じゃないか」
 「なんでこんなに大袈裟になる必要があるんだよ」「こんな所にもう二度と来るものか」
 と私は逃げるように病院を後にしました。


3.1.8 病院から帰ったのち・・

 それから。やっぱり駄目だったんですよ やっぱり。「あんな病院のお世話にならなくったって 今日からまた自分の強い意思で節酒していけば すべては解決さ」って飲み出したらドドドーーって行ってしまったんです。そのまま結局連続飲酒ですわ。 その二日後には あれほど「二度と来るもんか」と言っていた「あの」病院へ行って 今度は自分から「入院させて下さい」って先生に言ってましたよ。

 笑ってやって下さい。 お願いします。 どうかこのドアル中を笑ってやって下さい。その方が私もすっきりするってもんです。 そう思うでしょ皆さんも?

 入院は約3ヶ月間  閉鎖病棟に3週間。開放病棟に2ヶ月間でした。閉鎖では主に身体の治療で 開放ではリハビリが主でした。

 この入院で私が何よりも驚いた事といえば 『アルコール依存症』というものが「本当の病気」であり 単に異常に酒好きなだらしないヤツを形容する言葉では無かったという事でした。

 さらに開放病棟に移り いろいろな人と話をすると 自分と全く同じような酒のまつわる体験や行動をしているので最初のうちは聞いては大笑いの連続でした。

 それも皆 ごく当たり前に普通のことのように話すのです。

 勿論気さくに話をする人ばかりではなく 全く自分を閉ざしてる人やまるで鋼鉄の否認の鎧をまとっているような人もいましたが それでも皆それなりに良い人でした。

 「こんな世界があったのか!オレってやっぱりコレだったんだ」と勢いよく納得したものでした。

 が 同病とはいえ このような人とは同じだとは思いたくない。と思う事もありました。散歩しに行って途中で必ず酒を飲んでくる人。 外泊するのを「飲める日」として楽しみにしている人などなどです。私はこれらの人達の悪影響を受けてはならないと 酒に揺らぐ気持ちを必死に修正しました。

 けれども 今から思えば私にとってこの入院は「現在までのすべての事」が有益で有効でした。私はこの入院を本当に感謝しています。
入院して良かった本当に良かったです。(入院中のこと書いたら又又さらに長くなってしますので省略させていただきました。)

3.1.9 退院 そして変化
 入院での貴重な体験のお陰により 私は目から鱗が落ちました。これはまるで狂信者が何か特別なキッカケによって気付きを与えられ 今までの自分の誤った信念を捨て改宗したようなもの。といって良いかも知れません。

 けれども 自分の慣れ親しんだ酒中心の生き方をいやが応でも変えていかなければならないという事は大変でして 退院してからがむしろ苦しみの始まりでした。

 が「断酒するのは私にとって正しいことだ」という新しい信念を自分に植え付けて頑張ったのです。この信念は今まで間違っていません。

 よくアル中の飲酒を「慢性自殺」などと言いますが実際そんなものでは済まされないと思うのです。周りの人間もろとも多大なる被害を与える「慢性自爆テロリスト」のようなものなのです。特に小さな子供などがいる家族の場合はその被害はさらに大きく悲惨なものとなります。

 アル中が酒を飲み続けているならば「早く死に」ます。それもほぼ間違いなくです。しかし それだけではありません。 家族や周りの人達に嫌われ憎まれ忌むべき者として見られ深い傷を負わせ悪い思い出だけを残し死んで安堵され散々苦しんでみじめに死んでいくわけです。

 こんな人生が正しいはずが無いのです。

 と言っても「正しい正しくない」だけで 人生送れるわけでは無いことも私は知っています。

 ただ 必然なのか偶然なのか判りませんけれど 私は狂信的なアルコール依存教者としての殉教を(とりあえずと言っておきますが)免れたことを心から感謝している。と今 私ははっきりと言えます。

3.1.10 現在思う事

 あの入院から4年少し経ちました。断酒に対しては大分肩の力も抜けましたが飲酒欲求は年に1~2回やや大きめなのが来ます。それ以外は特に苦しいこともあまり無くなってきました。私の場合は 家族という存在が断酒する為の多大なパワーとなりました。

 しかし 今だに 私が家族に感じてること思っていることと 家族が私に感じてること思っていることのギャップに驚かされる事があります。(ついこの間もありました)それを知った時 怒りが湧いたり大きく落胆したりしています。

 私はこれは言いたいです。

 家族のある方へ 家族は自分が思っているよりはるかに大きく傷ついています。
 まだ大丈夫だろう まだ許されるだろう などとタカをくくって飲んでいたら 大変なことになってしまいます。
 私の入院中 ある人は入院最中に離婚届けを書いていました。
 また退院した途端 奥さんの実家に呼ばれ離婚を承諾させられてしまった人もいました。

 アル症になったという事は そのままならば崩壊破滅が非常に近づいたという事であります。その事実に目覚めないといけないのであり この目覚めに早過ぎるという事はないと思います。

 今の時点で私が感じてることなのですが 突き詰めてみれば断酒するという事は「生きること」への執着だと思います。その執着心を強め育て維持させて行くのに必要不可欠なものが「愛」(他人から受ける愛。 他人へ与える愛。 自分自身への愛。)だと思うのです。

 これからも「愛」のパワーによって断酒という聖戦をし続けて行きたいと思っています。

 今 現在の私はこんなところです。(2002年6月)
by jirou_ah | 2008-10-29 21:00 | 出版 | Comments(0)

3.2 LUNAさん(女性)の場合

 私は15歳の頃から自分で飲み始めました。思春期をお酒とともに過ごしました。
 20代の間は「ちょっと人よりお酒に強いだけ」と思っていました。

 30代に入り、まだ独身であるという焦りと寂しさからか、ガクンと酒量が増えました。そのころ夫と知り合いましたが、夫も私も「飲み過ぎるのは不幸せだからだ。結婚して幸せになればお酒は飲まなくなるだろう」と思っていました。

 結婚しても、お酒は私を許してはくれませんでした。結婚して一年目の冬、駅前のスーパーでアルコール性てんかん(専門病院につながってから知りました)で昏倒しました。そのときのケガを夫に見とがめられたとき、「お酒がやめられない、何とかしたい」と訴えましたが、夫も私も「アルコールが自力コントロールできない病気」があることを、そのときは知りませんでした。「これからは、お酒は控えよう」という約束を二人でしました。

 それでも、私のお酒は止まりません。「お酒を控える」という約束をした手前、今度は隠れ飲みが始まりました。朝、夫が起きる前に起き抜けの一杯を飲み、会社へ送り出したら一息ついてまた一杯。夜、夫が帰る迄には酔いを醒まさなくてはいけないので夕方4時くらいには飲むのをやめます。

 そのうちに、長男を妊娠するのですが、インターネットでFAS(胎児性アルコール症候群)のページをみながらも、お酒をやめることはできませんでした。出産後にまず私がしたことは、出産費用の引出をしに銀行に行くついでに酒を買うことでした。

 マタニティ雑誌などの相談コーナーの、『FAS(胎児性アルコール症候群)はママが注意すれば必ず防げるもの。飲酒したからと言って必ず起こるものではありませんが、妊娠中はおなかの赤ちゃんのためにもなるべく飲酒はひかえたいものですね。』 という医師のコメントにすがりつくようにして臨月までお酒を飲み続けました。

 出産で入院した5日間はさすがにお酒は手に入りませんでしたが、病院から出たその足で、入院費を銀行から引き出すついでに缶チュウハイを買ったのを覚えています。

 …離乳食を上手に作れないのは「育児ノイローゼ」だと思っていました。保育園の一時保育に長男を預けるため、面接にいくときにも“一杯引っ掛け”なければ、家を出る勇気は出ませんでした。健康な人ならば、「ここ一番」というときには「しらふ」で事に臨むものですよねぇ。

 長男の授乳の合間に酒を買いに出ることは日常茶飯事でした。私は母性と酒を天秤にかけて酒の方を選びました。

 長男の初誕生のお祝いでも真っ赤な顔で舅・姑を迎えました。そのとき写っている写真のわたしの顔…それを見たとき、肝臓を壊したときかかった内科の医師が言っていた“アルコールを止めるための病院”のことが頭に浮かびました。

 喘息で通っている病院の主治医に『先生、どうしてもお酒がやめられないんです。どこか病院を紹介してくれませんか』とようやく告げることが出来ました。その翌々日には夫に伴われてアルコール依存症専門病院のドアをくぐったのです。…もちろん、朝起きる時と家を出る前には、夫に隠れて一杯引っ掛けましたが。(笑)

 今更ながら思うのは、“お酒を飲みながらの妊娠生活、子育て”は幼児虐待のひとつだということです。子供よりお酒を選ぶ…ネグレクトですよね。

 私は自分の飲酒は育児ノイローゼからくるものだと、そのころは思いこんでいましたので、地域の保健所(保健センター)に電話相談をしたこともあります。いろいろと悩みを保健師さんに聞いていただいたのですが、最後に「良ければお名前と電話番号を」と聞かれたときに他人に知られることが怖くて答えることができませんでした。今になって思えば、このとき身分を明らかにしていれば、もっと早く専門病院につながることができたのでは、と思います。

 近くの保育所で、子育て支援事業の園庭解放に参加したのは長男が6ヶ月を迎えた頃だったでしょうか。このころには舅、姑にも私の状態がどこかおかしいということは知れてしまっていました。舅に「僕の孫に社会性と教育をつけてやってくれ」といわれ、保育所に通園させることになりました。母親失格の烙印を押されたようで、また、それを理由にしてお酒を飲むことが多くなりました。お迎えの時間に酔いつぶれて行くことができず、園長先生に長男を送ってもらったこともあります。

 その後、長男が1歳の誕生日を迎えた月にようやく、自分から言い出してアルコール依存症専門病院につながることができたのです。もちろん初診の日には、朝一杯引っかけないことには家を出ることはできませんでした。

 アルコール依存症専門病院につながり、半年間ほど病院と意志の力で酒を止めていましたが、次男の妊娠を機会に通院を止めたとき、再飲酒しました。私は母性と酒を天秤にかけ、酒のほうを選びました。出産直前まで飲みつづけ、出産後1週間でまた飲み始めました。その一週間後、「このままではいけない。お酒をやめたい。」と、自分から専門病院に通院をはじめました。乳飲み子を抱っこ紐で胸にくくりながらの通院でした。でも、再通院から一ヶ月後、また連続飲酒をしました。

 「やめたいという意志の力」は「飲むという行動」には勝てませんでした。

 夫に見放されようとしたとき、私が取った行動は『酒をやめようとしているように見えるように自助グループに通うこと』でした。「自助グループなんて、アル中の行くとこやんか」と思っていました。…自分も正真正銘のアル中なのにもかかわらず。

 AA(アルコホーリクス・アノニマス:Alcoholics Anonymous®)に通い始めたころ、『…AAのおかげで○○年、酒をとめてもらっています。』という仲間の言葉が不思議で仕方ありませんでした。
「やめてるのは自分やのに、なんで、“とめてもらってる”っていうんやろう?」

 いま私は、「酒が止まっています。」「酒を止めてもらっています。」という言葉に違和感はありません。AAやネットの仲間や家族の協力のおかげで、私は酒がとまっています。

 AAには素敵な宝物がいっぱい落ちていました。「いつでも飲める、だから飲まない」(「いつでもやめられる、だから飲む」の裏返し)「今日一日だけ」難解だった12ステップも俺とポンコツ車とメカニックの12のステップを教えてもらってからは、取り組もうという気になりました。

 意思の力が必要なのだとしたら、「今日一日は飲まない」…そのことに意識を集中するときだけなのではないでしょうか。

 お酒をやめるのに早すぎるということもなければ、遅すぎるということもありません。私の場合、お酒の飲み方がおかしいと思いながら、結婚してから専門病院につながるまで、3年かかりました。その間に家族の信頼を失いました。離婚の危機にも直面しました。専門病院につながって、4年がすぎましたが、家族の信頼をすっかり取り戻せたとはいえません。(2005年6月)
by jirou_ah | 2008-10-29 20:56 | 出版 | Comments(0)

4.アルコール依存症は体と心の病

 アルコール依存症はお酒を飲みすぎることによる、体の病と考える方が多いのではないでしょうか。しかし、その根本は心の病であり、アルコール医療の治療は主として精神科医が行っています。心療内科でも、アルコールを専門に診ていらっしゃる所がありますが、治療に当たっては、アルコール依存症に関する知識や、お酒を飲まないで生きていくための心のケアにも重点がおかれているのです。ここでは、アルコール依存症の体の障害と、心の障害について、私が治療を受けて学んだことを背景にご説明いたします。
by jirou_ah | 2008-10-28 03:38 | 出版 | Comments(0)

4.1 体の障害

4.1 体の障害
 体の障害はアルコール依存症に見られる症状の内の一つに過ぎません。しかし、多くの方は体の障害について関心が高いようです。アルコール依存症が関与する病名の一覧と、肝機能障害および脳障害に対する私の考えをまとめました。私は医師ではありませんので、誤解があるかも知れませんが、参考にしていただければ幸いです。


4.1.1 アルコール依存症が関与する病名

 アルコール依存症は様々なところに障害をもたらします。その病名は以下に示す通りです。あなたは、このうちどの病名の疑いがありますか。知らない間に進行しているものも多いようですので、お気をつけ下さい。

表4.1.1 アルコール依存症が関与する病名一覧
e0162467_6284541.jpg


4.1.2 肝臓の機能障害に対する私の見解

 肝機能と言うと血液検査の数値をもって云々する方が多いように思います。この検査数値は主として破壊された肝細胞から漏れ出てくる酵素の血中濃度であり、数値が高いと細胞破壊が継続していることを表し、正常値であるからと言ってその機能が健全であるとは限りません。

 アル症のように、アルコールの摂取で肝細胞の破壊が続いているなら、アルコールの摂取を止めれば当然数値は低下します。しかし、長年の飲酒で肝臓のダメージが大きいと回復は遅くなり、個人差が大きく表れます。

 又、検査数値が低くなっても肝臓の細胞が再生された訳では無いのです。手に切り傷が有る場合出血しますが、検査数値の低下はこの出血が止まったことに過ぎず、傷の上から再び怪我をすると治りにくくなります。

 アルコールによる検査数値の間欠的な上昇と下降は、皮膚が治りきっていない間に新たな傷を作っているようなもので、これが繰り返されるとケロイドになります。そして皮膚細胞が再生されない状態に相当する肝臓の障害が肝硬変です。

 私の場合は、アルコールの障害が肝臓と膵臓に顕著に表れていましたが、今は検査数値は正常です。肝硬変までは進んでいませんでしたが、細胞の修復がなされた訳では無いと考えています。医師からはこの修復に3~5年は要し、それまで肥えることは出来ないでしょうと言われました。そして、今も痩せすぎの状態が続いています。


4.1.3 脳の機能障害に対する私の見解
 アルコールの障害は、人によって現れてくるところが異なり脳細胞の萎縮が認められる人も多く、老化が20~30年加速されると聞きました。この場合でもアルコール性認知症に達していなければ、断酒継続により回復する確率が高いとも聞きました。

 アルコール性脳症にも急性と慢性があり、慢性の場合には器質性脳症が優位となります。この場合、他の原因による脳症の典型例に近づいて行くアルコール性の脳症を、移行性脳症と呼び、判断能力の低下,情緒不安定,攻撃性,否認,知的能力の障害,抽象能力の障害等・・・様々な症状が出現します。これらの障害は、断酒継続により改善が見られるものの、アルコール依存症の後遺精神障害の回復には時間が要です。
これらの症状の内、抑うつ,妄想観念等については断酒10年で一般人口と同じ比率まで低下しますが、強迫衝動尺度では認知障害が残るようです。

 又、アルコール性認知症についても、その定義や可逆性について現在研究途上と見るのが正しいようです。いずれにしても、老化促進剤の効果を持つアルコールは、脳細胞の萎縮だけではなく器質性の性格変化も引き起こしますが、断酒を長期間にわたって継続すれば回復は可能だとのことです。

 私の場合、職業上抽象的能力の低下は致命傷であり、アルコールの害が脳に大きな影響を及ぼすと知ったことが、お酒を諦めることにつながった大きな要因の一つです。でも、長期間を要するが回復の見込みがあると知ったことは喜びです!

 脳細胞に対しては刺激が最も良い薬ではないかと思います。これには、人前で話をする断酒会やAAでの体験談は、アル症からの回復と脳細胞への刺激を兼ね備えた一石二鳥の治療方法だと思います。気になる方には是非試して下さい。
by jirou_ah | 2008-10-28 03:30 | 出版 | Comments(0)

4.2 アルコール依存症に忍び寄る生活の障害

 大量のお酒を、毎日長時間かけて飲むアルコール依存症者には、日々の生活で繰り返し落とし穴に落ちています。これが年に一度か二度の出来事であれば大きな問題は生じ無いのですが、毎日になると大きな障害となります。

 それは日々の生活で得る大切な経験に使うべき時間を、お酒を飲む行為に消費してしまっているのです。お酒を飲んで記憶がなくなってしまう(ブラックアウト)アルコール依存症者にとっては、酒の上の経験さえ身につかないのです。私は頻繁にブラックアウトを経験しています。本当にお酒を飲んでいる時のことを覚えていないのですから、「お金も、時間も、経験も」全てを失いながら飲みつづけていたのです。

 社会生活に必要な能力は、日々の経験を通じて子供時代から養われていくものです。大人になると自分の責任で多くの問題を処理していく必要があります。そして、問題の処理には葛藤がつきもので、それに伴うストレスは適度なものであれば人間を成長させます。なによりも、貴重な経験を身に付けていくのです。

 20代から40代にかけては、この貴重な経験を積み、社会人として生活していくための大切な訓練の期間です。この時期には、次々と生じてくる問題を解決する能力を身につけていくものなのですが、アルコール依存症の進行はこの時期に重なることが多いのです。社会的な責任が重くなるにつれて病は進行し、飲酒量は増加します。そして、周囲の人もストレスリリーフに、職場や地域のコミュニケーションを充実するためにと、お酒を勧めます。お酒を飲みすぎる日々が続くと、大切な問題に遭遇した時にまでお酒を飲むようになります。そして、ついには問題を解決せず放置したり、お酒に逃げたりしてしまいます。

 このような日々が続き、生活に必要な経験が不足することにより、社会生活に必要な生活能力を充分身に付ける機会を失ってしまっているのです。

 肉親との死別、対人関係の行き詰まり、経済的な行き詰まり等、大きなストレスがかかると、飲んでしまうのです。そしてつかの間の健忘症となり、問題を放置してしまっているのです。本当は、このような時こそシラフで問題に立ち向かい、早期に問題を解決すべきなのです。そして普通の人は、酒を飲まず、問題に立ち向かっていくのです。それに比べ、大切な時に飲んでしまう人間、アルコール依存症者に対する周囲の評価は明らかです。生活能力の低下は、アルコール依存症者の信用も低下させているのです。

 この信用の低下は、心の障害とも関係して、日常生活の障害を増やします。日常生活の中で見られる小さなストレスに対しても弱くなり、物事を円満に処理できなくなってしまうのです。そして、日常生活の場である家庭をギスギスしたものにし、崩壊へと導いてしまうのです。
by jirou_ah | 2008-10-28 03:18 | 出版 | Comments(0)

4.3 アルコール依存症は、友を家族をなくす病

 アルコール依存症になると、多くの人は友を無くし、家族を無くして行きます。この原因は病気にあるのですが、周囲の人には病気であることが判りません。肺炎や糖尿病であれば、多くの人がその病状について知っています。しかし、アルコール依存症となると、お酒を飲むことが病気だとは思いません。お酒を飲みすぎて肝臓が悪い、お酒を飲みすぎて糖尿になった等、体の障害については理解されるのですが、体に悪いならお酒を飲まなければ良い、「こんな判りきったことを出来ないアイツは意志の弱いやつだ」となります。アルコール依存症の最も恐い症状である、お酒を飲むことが病気であることを理解されないのです。ですから、「お酒を止めるために専門医に治療してもらいなさい。」と言う人はほとんど居ません。又、自分でも病気のことを知らないと、「自分の金でお酒を飲んで何が悪い。」となります。

 しかし、お酒を飲みつづけると体の調子が悪くなります。体の調子が悪いため、会社を休んでしまったり、約束が守れなかったりします。周囲の人からは、「アイツは、また飲みすぎて休んでしまった、また飲みすぎて約束を守れなかった、酒を飲む量ぐらい自分でコントロール出来ないアイツは意志の弱いやつだ、約束を守らないアイツは信用できない。」となります。

 最も信用を無くす約束が、「お酒を飲まない」約束です。お酒を飲んでしまう病気なのですから、これを守ることは困難です。これが困難であると云うことが、周囲の人には理解されないのです。そして、「あれだけ、お酒は飲まないと約束したのに、裏切り者」となる訳です。こうなると、人間関係の崩壊が始まります。誰でも、自分との約束を守らない人のことは嫌いになるものです。まして、普段の姿を見ている家族にとっては、死活問題となる飲酒ですから、お酒を止めさせようとし、お酒を飲まない約束が日々破られていくのです。お酒を飲んでいる姿を見るだけで、悲しくもあり腹立たしい出来事なのです。

 アルコール依存症が病気だと本能的に感じ、病人のために「お酒を隠したり」、「お酒を飲まない約束を取り付けたり」、家族の苦労は大変なものです。そしてアルコール依存症者本人だけではなく、家族も心の病になっていくのです。家庭がギクシャクしだすと、一日中面白くありません。そして、家庭の不和がお酒を飲む理由へと、すりかわっていくのです。

 約束を守れないアルコール依存症者は、孤立していきます。家庭でも、会社でも、そして地域でも。それは、お酒を飲んでいる時の振る舞いに、多くの原因があります。しかし、お酒を飲んでいる時の事を、多くのアルコール依存症者は覚えていないのです。自分が何をしていたのか判らない、家族の抗議は、「何を、大げさに」と思ってしまいます。そして外での失態は、「酒の上の失敗」と大目に見られる場合もあれば、「アイツとは付き合えない」と人が離れていったりします。本人には、何故人が去っていくのか判らない場合も多く、去るものは追わずとなってしまいます。そしてこれが、「世間は俺の実力を判ってくれない。」「誰も、俺のことを判ってくれない」となります。「どうせ判ってもらえないなら、俺は一人で生きていく。」「俺の人生は俺のもの、太く短い人生、気ままに好きな酒を飲みながらはてていく。」となってしまいます。

 お酒に飲まれなかったころの自分の幻影を、本当の自分だと思い、俺の実力はこんなものじゃないと思う。そして、周囲の人からは、「アイツも昔は良いヤツだったのに。」と、過去形で呼ばれるようになってしまうのです。

 親しかった友人が一人二人と離れていき、やがては家族も無くしてしまう、アルコール依存症は、その人の人間関係にも大きな影響を与える恐ろしい病気なのです。
by jirou_ah | 2008-10-28 03:16 | 出版 | Comments(2)



ネクタイアル中・回復の日記
by jirou_ah
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フォロー中のブログ
リンク集
ブログパーツ
以前の記事
カテゴリ
最新のコメント
ヘビスモさん まだまだ..
by jirou_ah at 02:29
雪山ってきれいですね。 ..
by ヘビスモ at 22:46
ノエルさん お母様..
by jirou_ah at 09:36
久しぶりに訪問しました。..
by ノエル at 23:00
ヘビスモさん お気..
by jirou_ah at 03:47
色々とあるのですね。 ..
by ヘビスモ at 22:02
ぐっちさん ご無沙汰し..
by jirou_ah at 03:07
二郎さん ご無沙汰してお..
by ぐっち at 02:18
ヘビスモさん 私は..
by jirou_ah at 02:23
お久しぶりです。 ナイ..
by ヘビスモ at 22:15
最新のトラックバック
venusgood.co..
from venusgood.com/..
from 佐藤寛子 画像 動画 写真集..
アルケット
from 猫の手通信・日替り定食
しらふで死んでもらうか ..
from 猫の手通信・日替り定食
二郎さんの本の出版
from 猫の手通信・日替り定食
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


Skin by Excite ism